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「付き合う前はいつもおごってくれたのに、付き合い始めたらワリカンになった」「彼がデート代を払ってくれるけど負担になっていないか不安」などと、お金に関する悩みを持つ女子が多いみたい。そこで、彼とのデート代の支払いについて、恋愛アドバイザーのぐっどうぃる博士にアドバイスをもらった。

「デート代をワリカンにするか、おごりにするかは、彼に合わせるのがいちばん無難ですね。ただしおごってもらう場合は、彼が使う“金額”に注意をしてください。付き合い始めなら、喜んであなたにお金を使うかもしれませんが、付き合いが長くなるにつれ、彼の中で“毎月支払うコスト”という考えに変わっていき、苦痛になってしまうことがあります。1カ月のあなたへの支出合計を、彼の月収の10%以下におさえることが、男性に負担を感じさせない目安と言えるでしょう」(ぐっどうぃる博士)

ぐっどうぃる博士によると、“恋愛はギブ・アンド・テイク”ということを忘れてはいけないのだそう。

「付き合っている2人の間でギブ・アンド・テイクが成立していないと、徐々に関係がぎくしゃくしてしまいます。例えば、彼がいつも支払いをしてくれているのなら、たまには“おごってあげる”“なにか料理を作ってあげる”などコスト面でのお返しを心がけましょう。支出ばかりがかさむと、男性は女性に対しておごること自体を疑問に感じて、別れを考え始めることもあります」(同)

さらに、彼との結婚を望むのなら、なるべくお金を使わせないのが得策なのだとか!?

「結婚のことが頭のどこかにある男性は、女性がおごってもらって当たり前のような態度だと、一気に萎えてしまいます。それは、自分が稼いだお金を全て使われそうだと感じるからです。一方で、お金をあまり使わせない女性は、結婚相手としての好感度が高いですね。加えて、“大きな公園でのデート”“街の散策”など、お金を使わなくても楽しめるデートをさりげなく提案する女性は、“お金のかからない女性”として、結婚相手としての好感度が高まります」(同)


http://news.nifty.com/cs/item/detail/ozmall-20111104-20111104_10660/1.htm

相手の収入次第ですね~


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民放キー局のアナウンサー試験の倍率は数千倍と噂され、収入面でも交友関係の面でも華やかなイメージが付きまとう女子アナの世界。特に、民放キー局の人気女子アナがフリーになると、人によっては年収が1億円を超えるケースもあると言われている。

 一方、鳴り物入りでフリーになったものの、その活躍は短期間で終わり、いつの間にか、表舞台から姿を消しているケースもある。

 年収だけで見ても、100万円以下から1億円超まで、あまりにも幅があり過ぎて、実態のよく分からないフリー女子アナの世界。加えて、フリーと言っても、本当にどこにも所属していない文字通りのフリーランスの女子アナがいる一方で、世間一般では、局アナを辞めてプロダクション所属になった女子アナもフリーと呼ぶなど、定義も曖昧だ。

 そこで、今回は東海地区を中心に、文字通り、どこにも所属していないフリーアナウンサーとして活躍している倉橋満里子さん(33)に、業界内部の事情やそこでのサバイバルについてお聞きした。

 倉橋さんは、関西外国語大学の国際言語学部を卒業し、JTBに入社。静岡支店に配属された翌年に、個人の営業成績で中部地方1位を記録。入社3年目には、同社史上最年少でチームリーダーに就任する。その後、同社の顔として同地区のテレビ番組やラジオ番組にレギュラー出演して、日本全国の観光地のリポートなどをしていたが、やがてアナウンサーとして独立し、プロダクションと契約。現在はプロダクションからも離れ、フリーアナウンサーとして活躍する傍ら、そしてキャリアコンサルタントやデザイナーとしても活動している。

●芸能人やスポーツ選手との合コン三昧なんて考えられないです(笑)

 せっかくの女子アナへのインタビューなので、ミーハーな質問から始めてみた。

 女子アナと言えば、局アナ、フリーアナを問わず、タレントやお笑い芸人、スポーツ選手と合コン三昧の日々を送っているイメージが筆者にはあり、実際、そういう人々との結婚も多いようだが……。

 「いいえ、全然そんなことはないですよ(笑)。もちろん、中にはそういう方もいらっしゃるでしょうが、ごくごく一部の例外的な方々だと思います。基本的にアナウンサーの仕事の現場というのは、想像以上に地味なんです。ロケ現場に直行して、撮影スタッフに囲まれてリポートをして終わりとか、スタジオでの生放送でも、芸能人とご一緒したとしても、打ち合わせと本番で顔を合わせるだけで直接個人的に交流することなど、まずありませんからね。

 一視聴者としてテレビを見ていた女性が、『芸能人やスポーツ選手と仲良くなったり結婚したい』と思ってアナウンサーになったとしたら、想像と現実のギャップに唖然とし、後悔すると思いますよ。

 私がテレビに出るようになってから、もう何年も経ちますが、同じ業界の知人が芸能人やスポーツ選手との合コンに参加したという噂を2回ほど人づてに聞いたことがあるだけです。少なくとも私には、とても縁遠い世界ですね」

 もちろん、人によって事情は異なっているだろうが、芸能人やスポーツ選手との距離は思いのほか遠いようだ。ただ、テレビを見た一般人男性からのラブレターは平均すると毎週1通は来るということで、“モテる”職業であることは確かなようだ。

 では、女子アナと結婚したい男性として必要な資質は何だろうか? 私の下世話な質問にあきれ、苦笑しながらも、倉橋さんは丁寧に答えてくれた。

 「女子アナは大体、話好きですから、聞き上手であることは大事な要素だと思いますよ。その上で、時々、男気のあるアドバイスをしてあげるとポイントが上昇しますね」

 なるほど! さて、ミーハーな質問はこれくらいにして、本題に入ろう。

●長期不況で逆にフリーアナへの発注が増加

 どんな業種であれ、いつ果てるともなく続く不況は、フリーランスで仕事をする人々の生活を著しく圧迫している。フリー女子アナも同様なのだろうか?

 「いいえ、フリーアナウンサーへの仕事の発注は逆に増えているんですよ」

 つい最近、ワタナベエンターテインメントグループの番組制作会社ザ・ワークスの霜田一寿常務を取材し、番組制作費大幅削減の現実を思い知らされたばかりだ。テレビやラジオに限らず、それまで外部委託していたMCやリポートの仕事は極力、局アナなど社員でまかなうようになっているのでは?


「すべての業務を自社内でまかなえるわけではありません。どうしても外部に発注せざるを得ない場合、従来ですと、プロダクションなどに発注し、所属するアナウンサーを派遣してもらっていましたが、それだとコスト的に厳しいということで、プロダクションに所属しないフリーアナウンサーに委託するケースが増えているのです」

 言い方は良くないが、どこにも所属していないフリーアナの方がはるかに安く使えるということで、発注が増えているということだ。

 そこで、倉橋さんに、年収を恐る恐る聞いてみた。

 「今は育休で仕事をセーブしているのですが……」と前置きしながら、「JTBでチームリーダーを務めていたころの2倍以上ということにしておいてください」と笑う。

●アナウンサーなのにミニスカ&ルーズソックスでケータイ販売!?

 JTB時代、静岡朝日放送『とびっきり!しずおか』や静岡シティエフエム『voyage+voyage』にレギュラー出演していた倉橋さん。入社4年目に退職してアナウンサーになったわけだが、その際、どのようなアクションを起こしたのだろうか?

 「退職してすぐ、私は大阪の芸能プロダクションに入りました。一般に、登録料やレッスン料などの名目でお金のかかるプロダクションが多いのですが、そこは、一切、お金がかからなかったので所属することにしたのです。

 でも、最初の仕事は、ミニスカートとルーズソックスをはいて携帯電話の宣伝をするキャンペーンの仕事だったんですよ(笑)。朝8時から夜20時まで働いて日給8000円です」

 「果たしてこれがアナウンサーの仕事なのか?」といぶかしく思ったことだろうが、倉橋さんはここで意地を見せる。

 キャンペーンガールの中には、渡された原稿を読むだけの人もいた。しかし彼女は原稿を暗記し内容を把握した上で、自分の言葉としてお客さんに訴えることを心掛けたそうだ。

 小さな仕事ではあったが、彼女の仕事ぶりは派遣先で評判を呼び、プロダクションの上層部からも一目置かれるようになったという。

 やがて、念願のテレビ番組への出演のチャンスが訪れる。

 「KBS京都からプロダクションに、『京都美容最前線』という新番組のリポーターが欲しいということでオーディションの案内が来たのです。社長から『受けてみたら?』と言われ、私のプロダクションからは5人ほどが受けました。ほかのプロダクションからもかなりの人数が受けたようですが、書類審査を通過したのは、私を含め全部で8人ほどでした。

 続いて番組プロデューサーとの面接があり、質疑応答やフリートーク、そして原稿を渡されて自由にリポート……という内容でした。

 結果的に、運良く私が選ばれ、番組のレギュラー出演者として、その番組が改編でなくなるまでリポーターを務めさせてもらいました」

 難関を突破できた一番の要因は何だったのだろうか?

 「多分、プロデューサーの好みのタイプだったんだと思います。というのも、オーディションを受けていたほかの女性たちと比べると、私が一番地味だったんですよ」と爆笑する。

 ゲスト出演と異なり、レギュラー契約の場合には、1回当たりの出演単価が大幅にアップすると言われている。

 「いえいえ、全然そんなことはありませんでしたよ」と手を振りながら、厳しい実情を話してくれた。

 「どこにも属さない場合には、そういうおいしい話にもなりますが、そのころはすべてプロダクションを通しての契約だったので、プロダクションの取り分を引くと、私に入るお金は1日6000~8000円ほどでした」

 その後、トークショーや企業イベント、ブライダルのMCなど、倉橋さんのところには、次々に仕事が舞い込んでくる。

 しかし、収入的には安定せず、月平均7~8万円がせいぜいだったという。テレビ局などからプロダクションに仮に20万円支払われたとしても、倉橋さん本人に入るのは1万円という現実に直面し、彼女は「このままでは食べていけない」と苦悩する。

 やがて下した彼女の決断。それは、プロダクションを辞めて、完全なフリーランスでやっていくということだった。

●相手の期待を超える仕事を

 「『フリーになったことだし、ひょっとして営業活動とかしないといけないのかなあ……』と思っていた矢先、JTB時代の先輩(男性)から電話があり、同社が主催する大きな観光イベントの司会を任されたのはありがたかったですね」と当時を振り返る。

 プロダクションに所属していたころから、一味違った仕事のこなし方を意識してきた倉橋さん。フリー第1弾のこの仕事でも本領を発揮する。

 「民放キー局などのアナウンサーと同じことをやっていても勝負にならない。自分にしかできない独自色を打ち出していく必要があると、その時考えたんです」

 倉橋さんは、大学時代に旅行会社で添乗員のアルバイトをしていたころのことを思い出した。あのころはお客さんに喜んでもらうためには何でもやった。お客さんの荷物を持ってあげたり、お土産屋からただで商品を提供してもらってお客さんに配ったり、お客さんと一緒にお風呂に入ったり、ほかの添乗員が決してしないことをしたことから、リピーターが続出した。

 JTB時代だって同じだ。支店のカウンターで接客している時、お客さんになってくれた方々にお礼や誕生日などのレターを手書きで送ったり、そんな依頼を受けていないのに、自主的に旅行情報を調べて資料を送ってあげたりした。そんな先輩社員たちがやらなかったようなことをした結果、感激したお客さんたちが倉橋さんを指名して来店するようになった。

 ほかの誰にもない倉橋満里子の独自性はまさにここにある。そう倉橋さんは自覚し、フリーアナウンサーとしての仕事も、そのスタンスでやっていこうと決意する。

 結果的にこの観光イベントの仕事は成功を収め、その評判はクチコミで広がって、九州や北海道からも「名古屋の倉橋さんに頼みたい」という依頼が舞い込むようになったという。好評を得られた具体的要因について彼女はこう説明する。

 「発注側からの要望がなくても、来場するお客さんが知りたいと思うであろう情報を事前に把握して、自主的に調査や下準備を重ねます。本番では、たとえ台本にはなくても、それをお客さん目線で分かりやすく伝え、お客さんにも発注側にも、『期待を大きく上回った』と思っていただけるようにするよう努めました。原稿がないことも多いので、自分でそれを作る能力も要求されますね。

 同時に、こうしたイベントはチームワークで成り立つものですから、スタッフひとりひとりにキチンとごあいさつします。また、アナウンサーだからと言って自分の仕事を限定するのではなく、『アナウンサーがそこまでやらなくたっていいのに』と思えるようなことでも、積極的に手伝って、全スタッフとのコミュニケーションを促進することを大切にしました」

 彼女のこうした姿勢のなせるワザか、ギャラも次第に上がっていった。プロダクション所属時代に1日1万円だったものが、1日3~4万円になり、やがて5万円になった。それが、さらには10万円となり、時には30万円という仕事までもらえるようになった。

 「29~30歳のころには、JTBでチームリーダーをやっていたころの年収を上回るようになりました」と倉橋さんは言う。

 しかし、そんな彼女に転機が訪れる。

●仕事の多様化でリスクヘッジ

 「あるイベントで司会をやっている時、講演者のお話を聴いている聴衆が、感動のあまり涙を流していたんです。それを見て、私も自分の話でひとさまの人生に気付きや感動を与えることができたらどんなにすばらしいだろうと思ったのです」

 アナウンサーとしてそれができれば一番だが、残念ながらアナウンサーの使命は「人に感動を与えること」ではない。

 倉橋さんは思案に暮れる。彼女は自分のこれまでの人生を振り返った。大学3年の就職活動では、民放キー局を含め、日本全国のテレビ局のアナウンサー試験を片っ端から受験し、すべて落ちた。アナウンサーだけではなく各テレビ局の一般職も受け全滅。新聞社も全て不合格。落ちた数は実に134社。

 エネルギーも枯渇し、「このままプー太郎になるのかな」と思って受験したJTBにはなぜか合格し入社した。しかし、アナウンサーへの未練は絶ち難く、最初の1年は仕事が嫌で嫌で仕方がなかった。でも、そんなことではいけないと思い直し、仕事に向き合うようになったら、営業成績で中部地方のトップになって史上最年少チームリーダーにもなれた。

 そんな自分の人生の話をして後進の役に立てないだろうか、そう思って調べて見つけたのが、キャリアコンサルタントの仕事だった。独学で3カ月勉強して資格試験には1回で合格。アナウンサーの仕事同様、営業活動は一切しなかったが、最初にもらった小さな仕事がきっかけとなってクチコミで評判が広がり、行政や企業、大学から次々に講演・コンサルティングの依頼が来るようになり、特に大学に関しては、名古屋市内を中心とした5つの大学で通年の授業を担当するまでになった。

 「現在、仕事の比率はフリーアナウンサーが2割、キャリアコンサルタントが7割、そして(書道家としての)デザインの仕事が1割という感じですね」と倉橋さんは言う。

 「二兎を追うものは一兎をも得ず」とは言うものの、彼女の場合は3つの仕事が相乗効果を発揮して、とても良い循環になっているようだ。フリーアナウンサーとしてメディアに出ることで顔と名前が売れ、それがキャリアコンサルタントやデザイナーの仕事を拡大することに貢献している。

 競争の熾烈(しれつ)なフリー女子アナの世界。アナウンサーとしての技量や実績で勝負するだけではなく、キャリアコンサルタントとして多くの大学で教壇に立ち、またデザイナーとして活動していることが付加価値となって、ほかの女子アナとの差別化要因になっていることは見逃せない。

 収入の安定という意味においても、フリーアナウンサーという職業にのみ依存しないことで、生活不安のリスクを見事に回避できている。こうして見ると、倉橋さんは非常に戦略的に自らのキャリアを構築していると言えるだろう。

 「でも、私も次第に年齢を重ねていき、その間に若くて優秀な人がどんどん出てきます。今までと同じやり方を続けていたら、そういう後からやってくる人たちにやがて取って替わられてしまうでしょう。年齢相応の自分ならではの独自色をいかに出していけるかが、私自身の今後の課題だと思っています。

 私は、今年(2011年)初めに出産を経験しました。出産や子育ての経験をこれからの仕事の中で生かしていくのも1つの方法かな……などと考えています」

 傍目にどんなに成功を収めているように見えても、倉橋さん自身は決して歩みを止めようとしない。常に自分を取り巻く不断の環境変化に注目し、そうした変化にいち早く対応して、自分自身を成長させ続けようとする。

 その姿勢を保つ限りは、倉橋さんの将来は明るいだろう。1年後、5年後、10年後、彼女はいったいどんな姿を見せてくれるのだろうか? 今後の活躍が楽しみである。

http://news.livedoor.com/article/detail/5995930/?p=2

アナウンサーも大変ですね~



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